「だれかを応援する」ってのは、とてもいいことらしい。
根本裕幸さんがときどきそう言っておられた。
とくに「自分のやりたいことや夢がわからないひと」は「だれかを応援するといいですよ」と。
「応援しているうちに、自分のやりたいことも見えてきます」
以前私は、「だれかのファン」になって、しかもなんかそのひとたちをエラくあがめるような気分になったものだ。「特別なひと」みたいに思ったりもした。
でも、いまはそういうちょっと滑稽な思いはなくなったかな。
当時の自分を振りかえると、そんなふうにだれかを神格化しちゃうなんて、結局「そんなすばらしさがわかる自分は『すごい』」とか「そういう特別なひとに、自分がなりたい」とかが根っこにあったんだ。
しかし、いまはそんなの、醒めたなあ。
特別みたいに思っていたひとたちの能力も、それは「個性」に過ぎなくて、べつにそのひとたちにとっては「ふつう」のことなんだ。
なので、ここしばらくはとくだんだれかに突出した思い入れをすることもなく淡々としていたのだが、YouTubeの「もちまる日記」はやや例外だった。人気の猫動画で、猫のもちまるがかわいくて、チャンネル登録者が増えたらいいなと思っていた。
そしたら、チャンネル登録者数が100万人を超えたそうで、今夜は記念ライブ配信があった。たしか8万人近いひとが同時に見ていた。チャットがものすごい速さで流れていってさっぱり読めない。
そもそも私は「現在の流行」とか日ごろまったく無関係に生きているので、こういうイベントを眺めるのははじめてだ。しかしネットのおかげでひょいとのぞくことができた。
しゃべっているのは飼い主の「下僕」さんだけで、「いま手がふるえています」とか言っていた。そうだよね、すごい数のひとに見られているもんね。
だが、猫のもちまるちゃんは当たり前だけどゴロゴロしているだけだ。猫だから何万人もヘチマも関係ない。猫はなんにも考えないで勝手気ままに遊んでいるだけ。
下僕さんは前にも「動画では、自分で『かわいい』って言わないようにしています」と話していたが、今日もまた「『かわいい』とは言わないんです」とわざわざ断っておきながら、ときおりため息つくみたいに「かわいい」と何度も言っていた。
がまんし切れないように「かわいい」とつぶやく下僕さんもかわいかった。きっと繊細でまじめなひとなんだね。
1時間ちょうどでライブ配信が終わり、私は例によってダラダラ見ていたが、数万人のひとたちはあっという間に数千人、数百人に減っていった。みんなちゃっちゃとキリつけて離れられていいなあ。
終わってしまったら、あんなにたくさんのひとたちはいったいどこにいるのかな、そもそもほんとにもちねこちゃんや下僕さんも実在するのかな、などと夢から覚めたような心地だった。
それにしても「猫の生きかた」ってすごくいいお手本だなあ。
日がな一日ごろごろしていて、好きなだけ遊んで好きなときに寝て好きなときに起きて、飽きたら平気でポイしてだれのキゲンもうかがわなくていい。
理想的だな。
そういえば、去年「ビリーフリセット・リーダーズ講座」を受講していたとき、ワークをしている最中「自分が猫にすり代わった」イメージが見えたことがある。
まあもう、ずっと前からごろごろだらだらしていたかったのでね。そしたら、自分の姿が「ぽってり太った黒猫」に代わって見えたんだよね。
う~ん、もはや「何者」も目指さないように成り果てていたんだけど、そっかー、猫になるのは目指したほうがいいなあ。
なので、猫だけは応援することにしよう。