さんざん「働きたくねーわ」とグチをこぼしつづけてきた。
2ヵ月前にパートを辞めて、もうそれを最後のケツ割りにして、今後ぜったい働かないぞと決心しているのに、まだ文句を言い足りない。
まあ、それほどに私は働くのがイヤだったんだよ、18才のときからずーっとね。ふう。
けれども、なにせ世の中のしくみとして「働かないと → 食っていけない」となっているから働かざるをえない。たいていのひとは強制労働に駆り出されているのだ。
どうせなら、生きがいになるような仕事をしたいとだいそれたことを企んでいたが、どないセミナーに通っても、なにをやったらええのか見当がつかない。
「やっていてほんまに楽しいことは、ゼニにならんことばかりだ」と思っていたが、それねえ、そいつもまちがいでね。
たぶん、ちゃんと「ゼニにしよう」とそこに肚をくくれるひとは、どんなことでもそれを仕事にできるはずだな。ビジネスとかマネタイズを勉強して、きっと食べていけるしくみを粘り強く作っていく。
あたしゃ、なんでそれができんのかね?
それは、だ。
ナマケモノだからだよ。
よっぽど好きなことしか、動く気がせえへん。
興味がないモン、つまり仕事もビジネスもまったくやる気が起きない。
ナマケモノって、必要最小限でしか動けないんだよ。
しかし、私が働けない要因は、ナマケモノ以外にもまだあったのだ。
「ビリーフリセット・リーダーズ講座」で同期だったMちゃんが、↓こんなコメントをくれた。
「春子ちゃん、仕事のこと、深掘りしてみたよ
私にとって、お金は『感謝を表す共通単価』
働くは『自分を満たすために動くこと』。自分のためか自分の好きな人達のためか
愛だけ⇄働⇄金だけ⇄働⇄愛&金
こんな感じに思ってるみたいw」
↑このコメントを見たとき、思わず唸ったわ。
私が、ぜんぜん知らない世界じゃんって、あまりに驚いて茫然としてしまった。
「お金は『感謝を表す共通単価』」ってけだし名言。
そういう価値観もあったのか。
Mちゃんって、たしかに「愛と感謝」があふれているひとなんだよねえ。それもふんわりとやわらかくあたたかく。
んで、自分を振り返ったら、よくわかったんだが、私には「愛と感謝」がゼロじゃんって!
なるほどねえ、愛とか感謝がゼロだと、働くことが懲役刑になっちまうんだね。
「愛」とか「感謝」はね、私、マジで湧いてこねーんだわ。
いちおうね、たまーにひとと接するときは、「自分をいい人間に見せかけるため」という手段として、なにやら感謝しているフリはする。
でもね、ほんとはぜんぜん感謝なんて湧いてこねーの。みごとにゼロなの。
すいませんね、関係各所のみなさんとか、このブログの読者さんとか。
私は、「だれかから愛されたいし感謝もされたい」けど、「私が、だれかを愛そうとも感謝しようとも思えない」んだ。
自分が、だれかを愛するとか感謝するとか、それ、おもくそめんどくさくてぜんぜんやりたくねーのよ。
そっかー、愛や感謝を抜きでひとと接すると、しんどいだけになっちゃうのかね。
でも、「だれかを愛するとか、だれかに感謝するとか」って、私にはまったく理解できないぞ。
いや、おぼろげにアタリはつくものの、うわっ、それはめんどくさすぎてやりたくねー、なんかうっとうしーってなる。
あのね、「だれかに感心する」ってのは、わりとよくあるのよ。へえ、すごいなとか、ほう、おもしろいなとか。
しかしあくまで「感心」だね。なんかすごく失礼かもしれないが、正直なところ、自分のなかには「感心」しか湧いてこない。
今日も、堀江さなえさん(ビリーフリセット認定カウンセラー)が、私にていねいなメッセージをくださって、何度もやりとりしていただいたんだけど、すいません、「深い感謝の気もち」はやっぱり出てこない。いちおう「ありがとうございます!」とか書くんだけど、ウソかも。
堀江さなえさんってやっぱりすごいひとだなあってすごく感心するんだけどね。感謝はほとんど出てこない。
ただ、それこそ堀江さなえさんのおかげで気づかされたけど、もうそういう私であってもいいかなあって思う。
Mちゃんみたいに「愛、感謝」をひととの間で交わせたら、「お金が『感謝を表す共通単価』」になって、働くことに楽しみも見出せるだろうけど、う~ん、それ、私にはまったくムリだ。
私には「愛、感謝」のスイッチが存在しない。その回路を設置する予定もない。
だれかが私を感動させてくれたら、「感心」の電源は入るんだけどね。
あいにくどのパートでも「感動に出会うこと」は皆無で、てか、自分から「感動を見つけよう」とはしなくて、だから私は仕事が拷問に成り果てていたんだね。