私はこれまで、「なにをやっても遅くてダメなヤツ」だった。
まあ、本人が困るだけならどーでもええけど。
あのさ、「仕事」ってことごとく他人がからむじゃん?
そしたら、私にかかわる他人って、全員困っとるわけよ。
およそすべての仕事は「急いでやらなあかん」のばっかしなわけでさ。
ところが、どんな仕事でも、私のところで進まなくなる。
お客さんもかならず怒り出す。
もう、コレって高校3年でバイトしはじめたときから、ずーっとおんなじ症状なんよ。
ま、ここ10年前からは、その「遅い」に、さらに「忘れる」トッピングが追加されて、末期になっとったけどね。
あえて言い訳をするならば、ウチ、親も遅かったんだよね。
父ちゃんも母ちゃんも、なにやってもかなり遅いんだよ。
なんかふたりとも几帳面でさ、神経質でさ、なんやかんや確認しまくって、万全の体制を取りたがるから、めっちゃんこ遅いのよ。
まあ、そういう空気にさらされて育つと、はあ、遅いわな、私も。
「拙速」とかできないんだよね。
「とりあえず8割押さえる」とか、「だいたいでいいから早く仕上げる」とか、ぜんっぜんできねーの。
だからもう、これまであらゆる職場で「遅い」「早くしろ」「みんなが5分でできるのに、なんで30分かかる?」「なんでこれだけしかできへん?」「いままでなにやってた?」「優先順位おかしい」「そんなことはどうでもいい」「急ぐヤツからやれ」「いま、なんでソレやるねん?」……
たぶん、このバリエーションは33個以上書ける自信あるわ。
ところが、だ。
ほんま、青天の霹靂みたいに、ピアノだけは、ほんのちょびっと「速く」、しかも「生き生きと」弾けるようになってきたのよ。
なんか、こういうの、生まれてはじめてで、唖然茫然なんだわさ。
すごくよく覚えているけど、▼バッハ:フランス組曲第6番ブーレをレッスンで弾いたときのこと。
それまでに、2ヵ月近く練習してきた曲だったが、5月18日に弾いたとき、自分でも「ひええ、どうしよー?」ってヤバすぎるほど調子よく速く弾けちゃった。
そしたら、弾き終わった直後に、先生「信じられない!」
「私も信じられません! こんなの、生まれてはじめてです! 自分が弾いてると思えません!」
でもさあ……、こんなことが起こったのって、ほんと先生のおかげなんだよね。
だって、私、子どものときも、「ぜんぜん速く弾けない子」で、そのときのピアノの先生、いっつも怒ってたもんね。
そうそう、レッスンだろーが、学校だろーが、もちろんウチんなかでも、だれかに怒られてたなあ。
で、ピアノの先生には、「なんでもっと速く弾けないのっ?!」ってよく言われてたなあ。
「なんで?」って叱られてもなあ。
あのー、「どういうふうにしたら『速く弾けるようになるか』」って、まあ、教えてもらえないからね。
けれども、いまのピアノの先生は、ものすごくていねいに具体的に教えてくださるのよね。
そもそも先生独自の確固たる「奏法」があって、その盤石な奏法のうえに、さまざまなテクニックが成り立っているんだと思う。
それを、レッスンのたびに、授けていただいて……
ええと、そのいただいた「お宝」を「忠実に」みがいていたら、もっと早くなんとかなっていたのにね。
いやあ、私はすなおじゃなかったわ。
もう2年以上習っているのに、「もっとなんとかしなくちゃ」ってぜんぜん気がつかなかった。
ようやく目が覚めたのは、今年1月の発表会だねえ。
なにせボロボロだったから。
さすがに蒼くなって、やっと「なんとかしなくちゃ」モードになって、そしたら、だんだん「すなお」になってきた。
すなおに、できる限り、先生のご指導のとおり練習するようになってきたら、そしたら「流れよく、生き生きと」弾けるようになってきた。
こういうの、ほんと、「生まれてはじめて」だよ。
こういう「気もち」も、ほんとはじめて。
もしかして、「ほんとの自分」って、こっちなのかなあ?
「すなおになったら」→「生き生きしてきた」ってのが、心の奥のほうにあるのかもしれない。
うん、なんか「フタ」が開いて、「ほんとの自分」が出て来ましたって感じ。
「ほんとの自分」で、もし仕事をやっていたら、そうだなあ、案外「生き生きと」働けたかもしれないねえ。