スーパーのレジで割り込みおばちゃんを期待できるという幸せ

これまでずっと「他人軸」で生きてきました。いちばんデカい軸は、やっぱり「母ちゃん軸」と「父ちゃん軸」ですね。それとあと「世間一般軸」。その3つの軸と自分を比べて、良いとか悪いとかず~っとやってきました。

具体的には、「母ちゃん父ちゃん世間一般にホメられることがイイコト」で「それ以外はワルイコト」という基準軸で、いろんなルールを作って、それでもって自分を裁いてきました。でも、それ以外の生きかたが思いつかなかったんです。

母ちゃんがしょっちゅう言っていたのが「自分を無くしなさい」というコトバ。「自分を無くして相手の言うとおりにしなさい」といつも言われていました。べつに怒っているモードじゃなくて、それが真実でいちばん大切なことだよ、というきっぱりとしたニュアンスです。

いま思うと、それが母の処世術だったんですよね。母は小さいころに実母に去られて継母に育てられたので、「自分を無くすこと」で継母とうまくやっていかざるを得なかったんです。

そういう母にしつけられて、しかも私はべったり母に癒着していたので、母ちゃん軸という基準しか知らずにいままで来てしまいました。ソレしか知らないと、いやホント、ソレ以外の基準があることすら思いつかないのです。

しかし、数年前から心理学セミナーに行くようになって、そのあたりが徐々に少~しずつくずれはじめました。とくに今年4月からは目に見えてどんどん変化が進んで、気が付いたら「自分軸」になっていました。

振り返ってみても、まあ、決定的な瞬間はコレといって思い当たらないのですが、すっごくショックだったのは「網戸極楽事件」です。「クルマの網戸」で自分が最上級の幸せを味わえるんだ!と気が付いて、心底びっくりしました。

結局、それまでは「ヒトにホメられること、認められることで自分が幸せになれる」と「大きなカン違い」をしていたんです。ずっと他人軸だったので「ヒトの判断=私の幸不幸」という具合に生きてきました。

だから、ヒトにホメられるとうれしい→幸せ、ヒトにホメられないとガッカリ→不幸という図式。相手の反応次第で自分の幸不幸が決まってしまうという、非常にイタい依存状態でした。

けれども、カウンセラー先生のおかげもあって、ようやく自分軸を持てるようになりました。ふう。

でも、まだ慣れないからヘンな具合ですよ。「あ、私は自由なんだ!」という晴れ晴れとした気分なんですけど、次の瞬間、「え?いいのかな? ホント、自由にしていいのかな?」ってソワソワしたりします。

対人関係はもともとほとんどないのですが、それでも買い物のとき、店員さんの態度がつっけんどんだったりした場合、ハラが立たない自分がヘンです。すごくヘン。前はすぐに怒っていたのに、アレ?なんで怒らへんの?自分。

ヘンだけど怒らない自分がおもしろいからニヤニヤ。もっと試したくなって、スーパーのレジで並んでいて、だれか割り込んでくれへんかなあとウキウキして待っていても、そういうときに限って図々しいおばちゃんが見当たりません。

これはたぶん、ヒトと適切な距離が取れているからだと思います。いわゆる「境界線」が引けるようになってきて、「私は私、ヒトはヒト」と区別できるようになりつつあります。だれかに期待しないようになったかな? あのひとは「つっけんどん流」なんやねえとフラットな気分でいられる。

自分軸になっただけで、こんなに世界がちがって見えるんだ。これまで見たことのない光景にまだおっかなびっくりです。

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