最終地点は「親に対する感謝」

昨日のブログで、訓練校の面接について、調子よくシャアシャアと「門前払いを食らったわけではないので、気分は悪くない」などと書いてしまったが、あとでちょっと後悔した。というのも、面接者さんが私に好意的に接してくれたので、だから「気分は悪くない」わけで、そりゃもう当たり前のこと。

では、もし昨日、たとえば圧迫面接だったらどうだろう? 「そのトシでWebデザイナーをめざすなんて、まるで業界を理解してないね」とため息をつかれたら? 「前職が清掃やコンビニなのに、いまから他の仕事ができるの? エラくカン違いしていない?」と鼻先で笑われたら?

まあ、たぶん負けず嫌いの私のことだから、きっとその場ではあーだこーだ切り返しをすると思う。しかし、そのあとでも面接者が冷たい態度で、そのまま面接が終わってしまったら……私はきっと奈落の底に突き落とされて、いまごろ劣等感にまみれてドロドロになっているにちがいない。

・面接者が好意的だった → いい気分になる
・面接者が冷たい態度だった → 最悪の気分になる

ああ、つまりこれは完全に「他人軸」になっている! 相手の態度に振り回されっぱなし! ということは、まだまだ「自己肯定感が低い」という証拠だ。ふっふっふ、まだまだ修行が足りんのお。

そもそも「他人軸」の由来は「両親」だ。母ちゃん軸と父ちゃん軸に支配されているコドモ。

・母ちゃんにホメられた → いい気分になる
・母ちゃんに叱られた → 最悪の気分になる

このパターンがそのまま他人に対しても反映されているというわけだ。私のように親離れできていないと、いつまでたってもコドモの反応のままなので、だれに対しても「母ちゃんのように接して欲しい」と思ってしまい、相手の態度次第で自分の幸不幸が決まるという非常にイタい人間になってしまう。

それでは、「他人軸」から「自分軸」になるにはどうすればいいのか? それは「自己肯定感をあげればいい」。じゃあ、自己肯定感をあげるにはどうするのか? それはね、ついこの間カウンセラー先生が自己肯定感に関する新刊を出版されたので、ソイツを読んで実行すればいいだけのハナシなんだが、もうちゃんと読んで、いちおうワークもやってみて、感想文も書いて、とやってみてはいるんだが、この体たらくなんだよなあ。

ただ、いちばんの難所をまだ克服できていない。それは「母に対する感謝」だ。すでに感謝への道すじは見えてきたけれど、そこから先に取り掛かっていない。具体的には「母に対して感謝の手紙を書く」ということだ。この場合の「感謝の手紙」は、実際に母へ渡す渡さないはどちらでもいいとのこと。けれども、できれば母が元気なうちに渡したいような気がする。

そもそもなぜ「感謝」が必要なのかというと「感謝は、大人にならないとできない行為」だからだ。親に対して不満やわだかまりを持っているということは、じつはコドモのままでフテくされているのだ。親に対してまだ甘えがある。

ところが精神的に成熟して大人になり、「親対子」ではなく「大人対大人」というステージにステップアップすると、そこではじめて「感謝」の念を持つことができる。だから、最終的には「親に対して感謝する」というのがゴールになるのだ。

はい、やっぱりソコをめざします。それに「感謝する姿は美しい」から、私もいつかはそうなりたい。

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