仕事のグチをしょっちゅうコボしまくっとるが、じつはオノレのなかでは「大したことねえなあ」と思っていたりする。
なぜなら「ピアノのおもしろさ」が日に日に増大しつつあり、ほかのことがどうでもいいからだ。
コレはなかなか興味深い現象で、こんなに突然一気にどーんっ!ばーんっ!ガッシャンっ!って「おもしろさのレベル」が天井突き抜けるのははじめての経験。
ま、ワシの基準は「山登り」なのだが、アレはね、さいしょの一山めから「ドーン!バーン!」って雷打たれたみたいに来たからわかりやすかった。おお!コレやっ!まちがいないっ!ワシは山登るために生まれてきたんやっ!って確信した。そいで、延べ400山ほどせっせと登った。
それに比べて、ピアノは一筋縄でいかんのよ。そもそも親がやらしたでしょ? なのに親がやめさしたでしょ?
なので、親に対する愛憎とごちゃごちゃになっとって、いやあ、ピアノは長年ようわからんかったわ。
でも、親はふたりとも音楽が好きなんよ。とくに父ちゃんはクラシックが大好きで、新婚旅行から帰った次の日から毎日レコードをかけつづけた。母ちゃんは、こどものときから歌が大好きで、中学高校ではコーラスをやってた。
母ちゃんがワシを妊娠したとき、ふたりして「生まれたコが女のコやったらピアノ習わせよう」と決めたそうだ。そのハナシはむかしよく聞いた。ワシは生まれるまえからピアノ弾くことが決まっとったらしい。
ワシがピアノを習いはじめたのは、母ちゃんが言うには「4才のとき」なんだけど、それはうたがわしい。だって妹が4才年下なので、そんな乳児がおるのにピアノ習わす余裕はなかったんじゃねえの? なのでホントは5才ぐらいじゃないかと推定している。
いずれにしても、習いはじめたころの記憶はない。気がついたら毎日ピアノを練習するのが当たり前だった。
しかし、中学1年の冬にやめることになった。最大の理由は「ゼニがつづかへん」ってことだった。以降、母ちゃんは延々と「あんたにピアノ習わすんじゃなかった。大失敗やった」と文句を言いつづけておる。
あ、このごろは母ちゃんの気もちを尊重できるようになってきた。そう思うのは母ちゃんの自由だよねえってようやくフラットに考えられるようになった。
でもまあ、それまではやっぱり不満だった。こんなババアになっとるのに、まだ親に甘えていて、「親がぁ、ピアノやめさせてぇ、そのあとどうしたらええかわからんで、すっっごく困ったぁぁぁ」ってずっとブータレとりました。
結局、そこらへん両親についてのごちゃごちゃを紐解いてくれたのは、カウンセラーN先生だった。で、ピアノのごちゃごちゃをはじめてぜんぶ話せたのは、カウンセラーO先生だった。それまで、だれにも話したことがない。てか、ぜったいだれにもわかってもらえないと思ってた。
でも、ピアノ問題はかなり重症だったんだよね。いまから思うと。
やっぱりピアノが好きだったんだよ。自分ではやめるなんていちども考えたことがなくてさ。それなのに13才でいきなりブツッ!って禁止されて相当ショックだったんだ。
けれども巡り巡って、今年3月にカウンセラーO先生のカウンセリングで「いいんじゃない、やったら?」って言ってもらって、4月からレッスンを再開した。O先生は「こんど出会うピアノの先生は必ずいい先生だからだいじょうぶよ」と言われていた。その予言はすさまじいほど的中した。
すごいねえ。ピアノのレッスンで人生ここまで変わるとは思わんかった。
で、前々回のレッスン(ピアノレッスン第34回|前言撤回、レッスンがヤバいほどしあわせ)のとき、いきなりどういうわけか「異次元」に飛ばされちまった。まあ、いっつもレッスン行ったらオカしくなってたけど、あ、そうそう、ロケットで飛んでって、地球の引力圏外に脱出したみたいな感じだねえ。いまや無重力状態でバーッと飛びつづけとるわな。
しかしこの「愉悦」はすでによく知ってる。自然にいだかれているときといっしょ!
そっかぁ、ピアノでも味わえるんだなあ。うくく、やっぱり笑いがとまらんなあ。楽しくてしゃーないなあ。
だからね、ま、ちょっとぐらい仕事で悩んでみるのも悪くないんだよ。
ベースはこんなにしあわせだから、それでええやん。