「意外な道」が見えてきた
ぷー太郎になって、半年が過ぎた。
すると、このところ「ふしぎな変化」が生じてきたのだ。
予想外に、おもしろい展開になってきた。
えーっ?
まさか、「こんな気もち」が出てくるなんて!
パートに行っていたころは、
そりゃ、やめたらラクになるよね。
毎日ぶらぶらできるもんね。
と思っていた。
ところが、「ぶらぶら、だらだら、うだうだ、ごろごろ」以外の「変化」が、起こってきたよ。
いま現在、いっちゃん強い「気もち」って、じつは、
うおおおーっ!
なんか、目の前に「好き」へつづく「道」が見えるぞぉーっ!
ぶっとい「道」が、開けてるじゃん!
という気分なのである。
いやあ、こんな「境地」って、はじめてで。
なんだろ?
わりとはっきり「切り開かれた道」が、どーんとある感じ。
▲ちょうど、「こんな道歩けるんだ、わぁい!」って、浮き立っちゃうような道。
「道」が開けたきっかけ
その「大好きに通じる道」に対しては、かなりはっきりと「引き金になったモノ」がある。
その引き金とは、まず「おカイコさん」だ。
小学3年生のときに飼っていた「おカイコ」のことを思い出したのが、大きなきっかけだ。
私は、そのころ、「おカイコさん」を、とても好きだった。
おカイコが、毎日シャクシャク桑の葉っぱを食べて、コロコロ太ってくれるのが、なによりも楽しみだった。
その思い出が、はっきりよみがえってきた。
ブログを書くために、おカイコの画像を何十枚も見たり、おカイコのサイトをしらべたりするうちに、その当時の気もちが、ますます鮮明になってきた。
ああ、なんか「大好きへの扉」が開いたみたいだなあ……
すると、ふしぎなことも起こった。
ある朝、目が覚めたら、その当時習っていた、ピアノの先生の名まえを、とつぜん思い出した。
それまでは、どうしても思い出せなかったのに。
そうそう、先生、「あきよしせんせい」だったなあ……
あきよしせんせいが、桑の葉っぱ、くれたんだよねえ。
せんせいの冷蔵庫に、たくさん入っていた桑の葉を見たときの驚き。
それを、無心に食べつづけるおカイコの、シャクシャクという小さい音。
桑の葉っぱの、いい香り。
まるまる肥え太ったおカイコの、すべすべした肌。
あまりに太りすぎて、転がってしまった、あの楽しい光景。
私は、あんなにしあわせだったんだなあ。
ああいうことに、しあわせを感じる子どもだったんだ。
あのおカイコの記事を書いているとき、とてもうれしくて夢中だった。
いままで「通電」していなかった、脳ミソの回路に、びびびびーっと、ひさしぶりに電気が通ったみたいだった。
どうやら、おカイコのおかげで、「好き好き回路」に電気が流れるようになったらしい。
「好き好き回路」に電気が流れはじめると
つぎに、はっきりと、「はいっ、いきまーす、びーーーっ」となったのは、パソコンだった。
新しいパソコンをいじくり回していると、かなりひんぱんに「好き好き回路」がオンになった。
コレコレ、コレじゃんっ?!
コレ、好きじゃんっ?!
コレやってたら、電気、びーっ、じゃん!
「パソコンが好き」の、おおもとをたどると、じつは「シャープの書院(ワープロ)」だった。
「カタカタやると → きれいな活字ができあがる!」というのが、大好きだったんだ。
しかし、その「きれいななんとかが、できあがるのが、好き」というのは、さらにもっとさかのぼれる。
子どものころ、たぶん小学1、2年生かな、その時分に、ものすごく好きだったのは、「ダイヤブロック」だった。
「ダイヤブロック」の「ロッジ」を組み立てるのが、エラく好きだった。
説明書どおりに、ちまちまブロックをハマていく。
ちょっとずつできあがるのが、ほんま、楽しい。
窓は、ちゃんと開け閉めできる。この青いフチのパーツも、とてもよく覚えている。
いっちゃん最後は、赤い屋根のブロックを、下から順番に積み上げていく。
このあたりになると、完成間近で、どきどきした。
まあ、できあがったら、ひとりで、ほうぅ~って満足する。
そして、何日かたったら、ぜんぶ分解して、また下からブロックを積んでいく。
結局、私が「好きなこと」はコレ
こういう「説明書どおりに、なにか作る」って、好きなんだよ。
ブロックのほかには、折り紙とか、あやとりとか。
どっちも、本を見ながら、ちみちみ、そのとおりにやる。
「説明書どおりに」というのは、ピアノもそうだ。
「楽譜という説明書どおりに」ピアノを弾くのは、子どものときから好きだった。
つまり、説明書がないと、動けないっす。
「新しく、自分でなにか作る」とか、ぜんぜんダメ。
ちなみに、子どものときから、「ひとに、なんか言われて → そのとおりに動く」のは、大キラい。
だれが、てめえの言うとおりにするかよっ?!
と、ひじょうに反抗的なガキだった。
ま、人間相手に「臨機応変」とか、いっちゃん苦手。
接客の仕事とか、大まちがいだねえ。
てか、そもそも「働きたくない」よねえ。
もう、働かないよ。
しばらく「説明書人生」を楽しもう
さて、「好き好き回路」が、ツーツーになってきたおかげで、なんだかとっても晴れやかな気分だ。
すがすがしい。
すっきりさわやか。
やりたいこと、いっぱい出てきよった。
回路に電気が通って、はじめてわかったが、「なにをやるか?」って、そんなに重要じゃないかもね。
とりあえず「びーっとなるモン」をさわっていたら、あとから「勝手に、道が開ける」感じ。
心の学びでは、よくこんなふうに教わる。
子ども時代に、好きだったものを思い出してみる。
どういうところが、楽しかったのか?
それの、どんな要素が好きだったのか?
それでいくと、私は、
説明書のとおりに、なにか決まったモノをゆっくり作るの、好き!
ってことだね。
だから、野菜のように「形状が不規則なモノ」って、ヒドく苦手。
これからも、「好き好き回路」をオンにしていたら、もっとべつの要素が、出てくるかもしれない。
けど、とりあえずは、「楽譜のとおり」とか、「パソコンのマニュアルのとおり」とか、そういうモンを、ちまちま楽しもう。