こないだアマゾンオーディブル(朗読)で、あまりにも「夏目漱石名作集」がよすぎて、うっかりハマりそうになった。
そのとき、やりたいなと思い浮かんだことが、
ついでに、
・夏目漱石が東京帝大講師になったとき、その前任が小泉八雲。八雲の講義は「教室全体を詩的空気に包み込み酔わせてしまうようだった」のに対し、漱石の講義は不評。
そんなにすごいんだったら、と小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を読みたい。
・てか、「小泉八雲怪談集」をまず聴きたい。
・wisの川端康成「眠れる美女」も聴きたい。
・川端康成、ぜんぶ聴いて、本もぜんぶ読みたい。
・春日武彦もやっぱり好きだから、ぜんぶ読みたい。
・池谷裕二もぜんぶ読みたい。
このぐらいのことを、いっぺんにやりたくなった。
「朗読」、よすぎた。
プロのナレーションで聴いたら、自分で本読むより、まず朗読を聴きたくなった。
しかし、そんなに聴きたい聴きたいと言って、おまい、未聴のCDをどーすんだよ?
聴いてないCDなんて、たぶん300枚以上あるはずだ。
標高どのぐらいだろ?
ああ、この現象、なにかとおんなじだ。
そう、買い物だ。
思いつきで、ぱあーっと適当に買いまくるから、いつも汚部屋がデキたんだよね。
つまり、こういう「あれもやりたい、これもやりたい」で、「脳内汚部屋」を形成しているのだ。
ちょっと興味があるからって、そのたびに気が散ってたら、結局なにひとつできない。
「1000個捨てチャレンジ」をやったおかげで、はじめてわかったよ。
それに、「アタマが汚部屋だから 」→ 「部屋も汚部屋になる」ってのもそのとおり。
私がつねに汚部屋を作っているのは、まったくもって「投影」の結果である。
「アタマの汚部屋」が、外の世界に投影されて、「リアル汚部屋」がデキあがる。
ごく当たり前だ。
「1000個捨てチャレンジ」によって、服(ハンガー掛け)は約20着になった。
これぐらいが、私に管理できる枚数なのだ。
たぶん、ふつうのひとより少ないだろう。
しかし、これ以上、服が増えると、アタマが混乱する。ややこしい。
本は、まだ絞り切れていないが、おそらく10冊ぐらいが適量だ。
10冊でもちゃんと読む自信がない。
CD・DVDは、どうだろう?
聞いても片っぱしから忘れるはずで、まあ、とにかくパソコンに取り込んでおこうか。
なにせ来年春には60才で、いまからせいぜい「10年分」の予定しか立てられない。
「10㎡の物置」に、さあ、なにを入れておけるか?という問題なのだ。
自分のアタマが10㎡しかないのに、私はいつも「巨大ななにか」を入れたがる。
それって、欲張りだからだよね。身の程知らずでもある。
で、結局、いちばん入れておきたいものは、ピアノだから、そう、まずピアノを10㎡物置に格納しよう。
それから、CD・DVDだよね、順番とすれば。
「ほかのことぜんぶ」は、そのあとだ。
聴きたい朗読も、読みたい本も、勉強したいプログラミングも、後回しなのだ。
まあ、私の脳ミソじゃ、ピアノだけですべてのメモリを食っちまって、余力なし。
朗読の順番より先に、きっと要支援とか要介護がやってくるはずだ。
買い物さ、ネットで見かけて、欲しくなって、気軽にポチッて、でも使わなかったモノがわんさかあった。
そんなことにならないように、「やりたいこと」もギリギリ「できる範囲」に限定しないといけない。
人生、短いか?
いや、そんなこたぁない。
私は、早々とすでに延べ600山登っている。
アレだけでも、じゅうぶん元は取れているよ。
いまはもう、おまけの人生に入ったというのに、ピアノという「付録」までもらえて大満足だよ。