転倒の怖れがある高齢者がいると、じつは〇〇がデキなくなる

日々のあれこれ

「高齢者の転倒」ってめずらしくはないだろう。

母は、サ高住に入る前、ひとり暮らしのときに数度転倒したらしい。

とくにクスリの副作用でふらつきがあった際は、何度か転んで、手すりがあるところまで、這いずって行き、ものすごく苦労して立ち上がったらしい。

その数年後は、もうサ高住に入所したが、だからといって、いちど転んでしまうと自力ではまったく起き上がれない。

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そのころは這うこともできなくなっており、しかたがないので、サ高住のスタッフさんが、たまたま部屋に来るまで、床に寝転がっていたという。

転んで、とくだん何もなければ問題ない。

ところが、高齢者は骨粗鬆症のヒトが多く、「転倒 → 骨折 → 寝たきり」コースが予測されるんだよ。

母が、サ高住で見聞きした話では、「転倒 → 半身不随」ってのもあって、う、そりゃたまらんなあ。




で、母はずいぶん以前から骨粗鬆症であり、昨年背骨の圧迫骨折で、その後3ヵ月寝たきりだった。

以来、母も「転倒」をタイヘン怖れていて、

「ぜったい転ばないように気をつけるね」と始終言っている。

けどねえ、「気をつけたら → 転ばない」ってわけじゃないっしょ?

個人差はあると思うが、90歳ともなると、「歩くことすらしんどい」状況。

シルバーカーにつかまって、ヨロヨロトイレに行くのが、ゆいいつの歩行であり運動だ。

素人目にも、母の足は、小さく縮こまっており、いかにも「歩けなさそうな足」になってしまっている。

そんな足を見ていると、ああ、もう「この足」はそろそろ引退したいのかねえって感じる。




「老いる」ということは、身体の機能が徐々におとろえて、「引退宣言」する部位が出てくることかもしれない。

「引退したがっている足」にハッパかけて、ホレ、転ばんように歩けや!っつーのも酷かもね。

母自身も「歩きたくない。座っているときがいちばんラク」と言う。

というわけで、私も母も「歩行リハビリはやらねーぞ」とケツまくっている。

ただ、転倒リスクがつねにあるとさ、「私が外出しにくい」のだ。

毎日の買い出しは、クルマを使って30分ほどで終わるので、まあなんとかなる。

私が留守のあいだ、もし母が倒れていたとしても、しばらく待ってもらったらかろうじてOK。

けれども、長時間ウチを空けることは不可能だ。




母と同居して、もうじき2ヵ月。

そのあいだ、私は買い出しと通院付き添い以外、外出したことがない。

食料以外の買い物は、ネットでできるから、それは困らない。

だが、ピアノのレッスンや発表会とか、コンサートへ行くとか、そういう何時間か要する外出は、できないと判明した。

ま、これも一部、リモートでやってやれないことはないが。

「時間を気にせずに、ひとりで外出することは、もうできない」って、意外と「不自由」だねえ。

いや、それこそ「もっと不自由」なのは母本人なんだけど。

私の場合、これまでさんざん自由に好き勝手やってきたから、これから粛々と「専業介護」にいそしむと、またちがう世界が開けるかもね。

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