母の「こういうところ」がゲンナリ、イヤなばあさんだと思っていたのに、じつは?!

日々のあれこれ

このところ、母の話題が、やや変化してきた。

以前は「むかしの苦労話」が圧倒的に多かった。

とくに、幼少期から二十代にかけて苦労した話を、綿々と繰り返していたものだ。

また、お姑さん、小姑、夫(私の父だね)に対する恨みつらみも激しく、ほぼ毎日、エンドレスで罵倒し、呪いのことばを口にする。

お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります!

にほんブログ村 シニア日記ブログへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ

あのー、みなさまがた、すでに鬼籍にお入りになっていて、いまさらなんぼ呪ってもはじまらんのですが。

こういった「むかしの苦労話」は、私が中学生ぐらいから、よく聞いていた。

なので、すでに数百~数千回レベルで聞いているハナシばかり。

ソレをだな、やっぱりいまも繰り返し話せるって、ある意味、おもくそ根気があるっちゅーか。

ああ、そやな、私もピアノの練習、そのぐらいせんとあかんな、とか思たり。

けれども、私も以前とはちがって、同じ話を聞いても、「即うんざり」みたいな反応はやめた。

もう「話の内容」は、気にしないことにしたのだ。




そうではなく、90年生きてきたヒトが、いま目の前で「一所懸命、話している」という事実を、あるていど重んじることにした。

母は、べつに私のリアクションを期待しているわけじゃない。

さらに、自分が話をして、「自分の気もちに変化が生じること」も、まったく期待していない。

ただただ「話したいだけ」なんだな。

さて、いま現在、母の関心は「巻き爪化膿の痛み、老いていく辛さ、上の階の騒音」である。

なので、ここらへんについて、まんべんなく訴えることが忙しい。

だいたいは「心配、不安、怒り」に帰着する。

それでね。

そういう母の話を聞いていて、私、じつはイヤだったんだよね。

なぜイヤだったか?

そこんとこが、自分でもなかなか気づけなかった。

でも、やっとわかった。

それは「『心配、不安、怒り』という感情」が「良くないことだ」と、決めつけていたからだ。




心配したらいけない。

不安になったらいけない。

怒ったらいけない。

と、そんなふうに「私自身が感じてはいけない」と、自分に禁じていたんだよねえ。

だもんで、「心配、不安、怒り」をまき散らす母ちゃんを、不愉快に思っちゃったんだ。

母に対してさ、

「あたしがガマンしてんのにさ、

おまいが心配だの不安だの怒るだの、好き勝手すんなよっ!

おまいもガマンせんかっ?!」ってね。

あーあ、やっぱりそういうことか。

そうわかってきたら、う~ん、母の訴える「心配、不安、怒り」は、私の「心配、不安、怒り」とは、ずいぶん「ちがうモノ」だともわかってきた。

すいません、私が勝手に「おんなじ感情」と誤解していた。

そして、母に関して「あらたにわかるコト」もあるが、そこで「はい、わかった、こういうコトでしょ」と、カンタンにおしまいにしないのも大事だなあ。

同じカテゴリーの、つづきはこちら
私が「どっぷり熱中したいのはアレ」なのに、そうもデキない事情
私は、これまでの人生で「寂しさ」を直接感じたことはなかった。 なので、ひとり暮らしが気楽で、自分に合っていると、そう思い込んでいた。 実家を出てから28年間、そのほとんどがひとりだった。 その間、とくに夢中になっていたのは...
同じカテゴリーの、前回はこちら
骨密度を増やすために「いますぐデキる」のはコレだけ│骨粗しょう症と向き合う│その2
私が、自分の骨密度に強く関心を持ったのは、約1年前。 きっかけは、スーパーでやっていた骨密度無料測定だ。 2022年10月19日、たまたま呼び止められて、ふと測ってもらう気になった。 それまでは、骨密度に対してほとんど興味...
タイトルとURLをコピーしました