自分が「ほんとにヤりたいこと」に気づいたら、もうワナに引っかからない

日々のあれこれ

かつて私は、「母の支配下」にあった。

子どものころから、ずっと母が怖かった。

いまあらためて、母からどんなコトをされたのか、わざわざあげつらおうとは思わない。

ただ、いつもビクビクして、母のキゲンをうかがわないといけない状態だった。

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それが、いまから7年前までつづいた。

で、私は、もう限界だなと、見切りをつけて、母の元から黙って逃げだした。

具体的には、7年前も母の介護で同居していたのだが、なにも言わずに、自分の自宅へ帰り、以降母から連絡(電話、手紙)があっても無視した。

こうデキたのは、当時、自分の持ちマンションがあったからだ。

そのマンションは、売ってしまって、もう持っていないが。

そういういきさつがあったものの、母との関係は修復したかった。

ソレをどうにかしないと、自分の人生に「大きな欠落」が生じたままだと感じていた。




ようやく重い腰を上げたのが、今年2023年2月。

私は、大和内観研修所を訪れて、一週間の「集中内観研修」を受けた。


出典 https://naikan3.com/naikan/naikan-7days/

内観研修のおかげで、やっと私は反省することができ、母の深い愛情に気づいた。

それで、今年5月に、サ高住に入所している母に電話をした。

7月、私は賃貸マンションを引き払い、母もサ高住を退所した。

母の住む地方で、あらたに賃貸マンションを借りて、ふたりで同居生活がはじまった。

母は、すっかり変わっていた。

私にアタマを下げて、お詫びや感謝のことばを、しょっちゅう口にしてくれる。

にわかには信じられないような、変容ぶりだった。

そんなにも、母が変わってくれたら、親子の関係はすっかり良くなったか?

じつは、そうじゃなかった。

こんどは、私が「増長」してしまったのだ。




90歳で介護が必要な母が、しきりに低姿勢でいるもんだから、ココぞとばかり、私が居丈高になってしまった。

「被支配者(私)」は、カンタンに「支配者」になり代わった。

完全に主導権をにぎった私は、こんどは「母を支配」した。

母の立ち居振る舞いに、クドクドと文句を言いつのるようになった。

ちょうど「転倒の危険や身体の不調」という、好都合な材料がある。

私は母に対して「あんたのタメなんだからね」と前置きさえすれば、いくらでも「攻撃」できるようになった。

けれども、そういう仕打ちにあっても、母はなにも言わなかった。

ずっと前、私が母に、なにも言わなかったように。

さて、私自身が「支配者」になってみたら、どんな気分か?

いや、悪くないっすよ。

エラそうに相手を一方的に非難して、だのに、相手が「はい」「はい」と神妙にしている。

そんなコトをしょっちゅうやっても、相手は「いつもありがとう」と言ってくれる。




いいね。

だいぶん自分が「エラくなった」気になれる。

けどなあ。

あれほどイヤだった「過干渉の女帝」に、自分がなってもうてもなあ。

ああ、私がなりたいモンじゃねえなあ。

イライラしながら「女帝」として君臨したいわけじゃねえ。

私は、ほんとうは「自分自身が、なにかに対して没頭し、我を忘れて恍惚としたい」のだ。

そうだよねえ。

だもんで、さっき母ちゃんに謝ってきた。

「ごめんね、私、すんごいエラそうだったね。

これから気をつけるね」

母は「そんなことないよ。

私のためを思って、言ってくれているんだから」と静かに笑っていた。

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