主治医先生「えー、胃ろうにするメリットっていうのは、
……なにだとお考えですか?
なんでそんな胃ろう……」
私「あのう、母は……」
先生「うん」
「独特の死生観を持っているんですよ」
「うん」
「じつは……」
「うん」
「火葬もしてほしくないんです」
「う~ん」
「心肺停止したあと」
「うん」
私「『1ヵ月は、遺体をそのままにしてほしい』というのが希望なんです。
まあ、法律はともかくとして。
なぜなら、そのあいだに『よみがえるかもしれないから』という死生観を持っているんです」
先生「…………」
「つまり、自分の肉体というものを、あの、どんなに管をつながれようが、人工的であろうが、
『生きている』という状態に非常に執着しているヒトなんです。
私には理解できないんですけどね」
「それ、むかしからなんですか?」
「そうです。
だから、父なんかは、延命治療なんかは一切いらないというヒトで、
葬式もいらない、で、献体したというヒトなんですが、
母は、自分の肉体に非常に執着が強いヒトなので」
私「ありとあらゆる措置を使って、機械的に最新の医学でもって、
生きている状態を持続させたい、というのが母の死生観なんです」
先生「…………」
「だから、私もちょっと、私には理解できないです。
私は、延命治療は、自分自身は望んでいないので。
ただ、母はおもしろいヒトだなあと思って、
前々からそういうふうに、よく話をしてたんですね」
「…………」
私「『え? そのう、機械にいっぱいつながれてて、
それで生きているっていうの?』って言ったら、
『そうよ、細胞は生きてるもの』っていう話をよくしていたんです。
『ひとつひとつの細胞は、ちゃんと代謝して、
活動してるわけだから、生きているのよ』って」
私「母の考えです、あくまでも」
先生「……むつかしいね、ここ、機械も少ないからね、人工心肺とかないですしね」
「ああ、そうなんですね」
「だから、私も、それは私の考えではない。
私自身はもちろん延命治療を望んでいないし、
父もなんにもなくってそのまま亡くなったんですけどね。
でも、母は、ちがうんです。
だから、母の意思に忠実であろうとしたら、
どんな手段を使ってでも、生きているという状態を維持したいですね。
まあ、死亡が確認されたあとでも、まだ1ヵ月は焼かないでほしい、と希望していますから」
「う~ん」
私「だからもう、宗教みたいなもんです」
先生「いやあ、宗教ですよね、うん、そりゃ宗教だと思うんですけど、
それでも食べれへんってオカしいですよね、へっへっへ」
私「そうなんです」
先生「その、生への執着を語るんやったら、食べへんかったら本末転倒ですよね」
「だから、ある種わがままに見えるかもしれません」
「う~ん、だから、そのわがままにどこまでね、
その、周りが付き合うかっていうとこもあるとは思うんですけど。
ただ、あの、ま、基本的に言うと、病院でできる処置っていうのはあります。
ここでできる処置ってのは、できるんで、もちろん継続してさせていただきますし、
ま、あのう、そういう点で申し上げるなら、あの、管につながれることに抵抗がないって、
おっしゃっているのであれば、ある程度のところで、あの、判断をして、
経鼻、あの胃管ですね、あの、鼻から管入れて」
「はい」
「胃に入れてっていうのを、あのう、ま、はじめる方向でいいと思います」
「はあ、申し訳ないです」