2019年4月、ピアノのレッスンを再開した。57才のときだ。
それ以前に習ったのは、中学1年の冬だったので、44年ぶりの再開。
以来、ずーっとピアノ一色だぜ。
来年1月に、3回目の発表会がある。
そして、4月になったら、レッスン再開して丸3年になる予定。
おそらくその満3年で、いつ「お迎え」が来てもOKよ~ん、というほど、じゅうぶんな経験をさせてもらっているな。
ん~、「山をはじめて3年」というころも、そうそう、ちょうどこんな感じで、ぐんぐん新世界が開けていった。
それでいくとね、1年ごとに「こ、こんなにしあわせになっていいんだろうかっ?!」って、恐くなるほど幸福度が上がっていくかもしれない。
ほんと、山をやってるときは、年々どわぁ~っとしあわせが押し寄せてきた。
で、ピアノも、おんなじように、なんかいろいろ押し寄せてくるわ、勝手に。
これはねえ、まったく予想していなかったね。
ピアノって、もっと「ヒトとの関係」がかかわってくるかと思っていた。
だって、人前で演奏してなんぼ、かね?
そしたら、ぜんぜんちがった。
いちおう年に一度の発表会はあるものの、そこだけにフォーカスしていない。
じゃあ、なにがおもろいねん?っつったら、「ウチで、ひとりでちみちみ練習してるのがおもろい」んですわ。
もちろん、週に一度、濃厚なレッスンを受けるのも楽しい。重要な核でもある。
しかし、おもしろさの大半は、ウチでの練習だ。
これって、やっぱり「登山の楽しみかた」と共通している。
あれもまあ、いちおう「山頂を踏む」という目的はあるものの、それまでの登りや、帰りの下りが大半で、やっぱりその「プロセス」がおもろいのよね。
で、私の場合、その「プロセス」をとことんマイペースで、ひとりでじっくり楽しみたいのだ。
「自分が心地よいと感じる行動」というのは、それが山であれ、ピアノであれ、やっぱりおんなじなのである。
だから「ピアノを弾く」のであっても、ああ、べつに「聞き手」は必要じゃないんだね。
ということが、だんだんわかってきた。
ひとりでせっせと「磨く」ことがなんかおもしろい。
こうしようか、ああしようか、実験してみて、週に一度「どないでしょう?」って見せに行って、改善点をどっさりもらって、持って帰って、またどうしようか、ああしようか実験する。
それがおもしろい。
そういうのをおもしろがるのが、自分なんだとわかった。
わかってしまったら、結局、対象が「山 → ピアノ」に変わったものの、やってることはいっしょで、じゃあ、ピアノもマイペースでごそごそやってたらいいんだよ。
「山」ではよく、珍行動を企てていた。
たとえば、皇海山(すかいさん/標高2,144m/栃木県・群馬県)。
日本百名山のひとつで、最短ルートは、往復5時間だ。みんな日帰り。
しかし、私はぐるーっと周辺をめぐりつつ、テントで2泊3日の予定にした。
そんなんやってるヤツ、めったにおらんけど、なんか「長~い日程」が大好きなのだ。
せっかく行くんだから、その近辺をねちねちしらみつぶしに踏んでみたいのだ。
で、今日のピアノ。
モーツァルトソナタがあまりにもヘタクソだから、「1小節 → 1時間練習」って実験をやってみた。
いや、前からいちどやってみたかったけど、さすがにどうかと思って見合わせていた。
でも、やりたくなったからやった。
▼モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番K.282 第1楽章 変ホ長調、9-11小節
ここの左手があまりにヘタなので。
ここだけ絨毯爆撃、2時間やってみた。
おもくそゆっくりから、メトロノーム1個ずつ(十六分音符単位)上げていって。
しかも片手ずつ。
なんかやっぱり「皇海山2泊3日コース」だよねと思いつつ、ちまちまねちねち。
やってみたはいいけど、いやあ、ほとんどウマくならなかった。
なので、明日またやろう、「1小節 → 1時間」実験。
そういえば、もう12時回ったね。
いま思い出した。さっきまで大晦日、いまは元旦。
おめでとうございます。
今年もアホ全開です。
よろしく。