やや「長時間ホニャララ」の予定がある。
「ホニャララ」の具体的な内容は、ブログとかに書いちゃいかんらしい。
すいません、書けないのですが、まあ、小銭のためにがんばって、そのホニャララをこなそう。
で、ピアノのレッスンをどうしようか?と迷っていた。
さすがにヤバいな、来週は休ませてもらおうと思いつつ、ウダウダ決めかねていた。
なので、昨日のレッスンが終わった直後、先生が「それでは次回は……」と言われて、それから3秒おくれること、ようやく「すみません、2週間後にしていただけますか?」とお願いしてしまった。
もう5秒早く、自分から頼まんか、こら。
「迷い」って、みごとに行動にあらわれますのう。
(1) ぐしゃぐしゃのままでもレッスンに行くか?
(2) 1回レッスンを失ってでも、2週間後のレッスンでマシに弾くか?
まあ、なし崩し的に(2)の2週間後にしてしまった。
だったら、どの曲もあるていど仕上げたいのに、今日はさっそくサボッてしまった。
バッハまで練習したら、急にダラけてモーツァルトまでたどり着けなかった。
今日は2時間31分しか練習できてな~い!
ああ、1週間後のレッスンがなくなると、とたんにこうなるのねえ。
つくづく「毎週レッスンがある」から → 「毎日それなりに練習する」んだと思い知ったよ。
いや、明日から気もちを引き締めて、また磨き作業に取りかかろう。
昨日の「逃げる話」の深堀りを書こうかと思っていたが、それもしんどくて「逃げて」しまった。
煎じ詰めると「すべてのことから、逃げまくった人生でした」になるのだが、あ、それ、いつも言ってることか。
けれども「逃げる」って、とくだん「良いコト」でも「悪いコト」でもないかな。
私は、すぐさま「逃げ」に走る。
そもそも「逃げたらしまいや」とケツまくってる。
たとえば、だれかが「ブラックな会社でも、辞めるに辞められなくて」とか言ってたら、え?なんで? 会社行かへんかったらしまいやん?としか反応できない。
私は、なんでもとちゅうでイヤになったら、ばあっとぜんぶ放り出して、「あとは知りまへん」と全力で逃げるのが常ですな。
そうしかできないなあ。
ガマンするとか、努力するとか、やったことないなあ。
そんなん、ぜんぜんやらんと、イヤなモンはぜんぶ放り投げて、そうして60年近く生きてきたけど、だいじょうぶ、年金はもらえまっせ。(ちょっぴり)
ネット上で見かける高齢引きこもりさんとかも、だいじょうぶ、みんなトシ取ってもそれなりになんとかなってるね。
私も、いま思えば、中学生ぐらいから堂々と引きこもって、そのまま60歳までノビノビ暮らせばよかったな。
そしたら、これまでみたいに、懲役刑パートなんか行かずに済んだのに。
逃げるなら逃げるで、もっと徹底したらよかったが、ついうっかり世間の目を気にして、ずいぶん遠回りしてしまった。
あと4ヵ月すれば、いよいよ「年金受給者」になれる。
私がいっちゃんなりたかったモノが「年金受給者」だと気づいたのは、ここ1、2年のことだ。
ああ、それまではいったい「ナニになりたかった」んだろうねえ。
ジタバタしないでも、こんなふうに自動的に「チャリンチャリンとゼニもらって、ぶらぶらできる生活」が待っていたというのにねえ。
バッハをちみちみ磨く毎日で、じゅうぶん満足できたのにね。
長いあいだ、もがいていたのはなんだったんだろうね。
私は、働くことが大キラい。
私は、ぶらぶらするのが大好き。
24時間365日、ぼーっとしていたい。
そうするために生まれてきたんだよ。
だから、どうぞ年金で養ってね。
私は、とってもよろこんで受け取るよ。
年金事務所の方角に向かって、手を振って、深々とアタマを下げるつもりだよ。