もしだれかに「なんのために生まれてきたん?」と尋ねられたら、
「まず、山に登るためだよ」と私は答える。
で、「いまはピアノを弾いてる。残りはソレやる」と付け加えるだろう。
子どものとき、ピアノをはじめることになったきっかけは、ずいぶん前にさかのぼる。
私がまだ、母ちゃんのお腹ン中にいたころ、両親は、
「生まれた子が女の子だったら、ピアノを習わせよう」と話し合っていたという。
ふたりともクラシック音楽が好きで、ほぼ毎日レコードをかけていた。
親はよく、作曲家や演奏家について、あーだこーだ言っていた。
子どもって、親がなにで騒いでいるか、けっこうわかるもんだよね。
ウチはド貧乏のくせに、父ちゃんがクラシックに血道を上げていたから、なんかもう、子どものころの思い出って、音楽のことが大半だ。
でも、毎日レコードが鳴っていると、それが当たり前になっちゃって、とくになんとも思わない。
「クラシックが好き」というと、なんとなくいいイメージがあるようだが、両親はふたりとも、複雑な家庭の出身で、ずいぶんひねくれていた。
それで、子どもを虐待するんだよね。
気安く殴る蹴る。流血惨事もあったよ。
まあしかし、そういうの、ぜんぶひっくるめたとしても、結果的にはいい親だったと、いまは思う。
父ちゃんと母ちゃんは、結婚相談所で出会ったそうだ。
ふたりとも、結婚相手が見つからなくて困り、相談所に登録して探したという。
▼父の結婚相談票│表面
これは、父ちゃんの遺品を整理しているときに出てきた。
父は結婚相談所へ「昭和34年9月20日」に登録している。
私は昭和37年4月生まれ。
この古びた紙は、私が生まれる2年半前の記録。
いろいろわかっておもしろい。
給料、21,000円かあ。
実家って、部屋が5つしかなくて、それなのに11人も暮らしていたのかあ。
工場の長屋社宅に住んどったんよ。
うわ、そりゃ結婚しとなるわなあ。
で、父の趣味が「軽い登山、音楽、読書、自転車旅行」と書いてある。
はは……
自転車旅行というのは、自転車で長距離走り、安宿に泊まる放浪旅だったらしい。
はは……
▼父の結婚相談票│裏面
「相手方に対する希望条件」に、
「共稼ぎについては相談の上決定
どちらかと云えば、クラシック音楽愛好の方」と記されている。
はは……
う~ん、なんか私って、いまだ父ちゃんの支配下にあるんじゃろうか?
まあ、そうかもねえ。
「子どもポジション」って、居心地いいからね。
いやあ、ふしぎ。
私は、自分で勝手に、山に登り、車中泊放浪をし、ピアノを再開したつもりだった。
しかしねえ、そのすべてが父のとおりだとは。
私のオリジナルは「ない」ねえ。
自分では好きなことばかりやってきて、そのどれも確かな手ごたえがあって、これでよかったと思っていたが。
結局、父の手のひらの上から出ることはなかったんだね。