「第二の生きがい」の前にあらわれた「意外なテスト」とは?│生きがいについて│その2

日々のあれこれ

57歳の春、44年ぶりにピアノのレッスンを再開した。

ユーチューブで見つけた先生は、じっさいの演奏のすばらしさはもちろんのこと、レッスンも手取り足取り、微に入り細をうがち、毎回目からウロコがボロボロ落ちまくる。

当時私は、電子ピアノを持っていた。

しかし、電子ピアノで練習していても、それでは「ホンモノのピアノ」を弾けるようにはならない。

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「電子ピアノの練習」をすれば、たしかに「電子ピアノ」は弾けるようになる。

だが、私の場合、「ホンモノのピアノ」は、とうてい弾けそうに思えなかった。

「電子ピアノとホンモノのピアノ」のちがいは、まるで「筆ペンとホンモノの筆」のように、へだたっていた。

私は「ホンモノのピアノ」を弾けるようになりたかった。

なので、グランドピアノを買うことにした。




まず、「音出し可、かつグランドピアノOK」の賃貸マンションに引っ越した。

そして、全額ローンでグランドピアノを購入。

旧居は、持ちマンションだった。

といっても、99万円で買った狭小築古マンションなので、売っぱらってもたいしたことなし。

レッスンを再開して3ヵ月後に入手したグランドピアノで、いちおう毎日練習した。

しかし、もろもろの事情により、ローンを返済できなくなってしまった。

結局、ちょうど3年で、グランドピアノを売るハメになる。

さらに状況は、刻々と変化する。

過去7年間、疎遠にしていた母に、私から連絡を取った。




まあ、あたしゃ反省しましてな。

すでにサ高住へ入所して、寂しい老後を過ごしている母に、深く詫びましてな。

そして、今年7月から、母を在宅介護するにいたったというワケ。

さて、これらの経緯は、いったいどういう意味があるのだろうか?

「第二の生きがい」と位置づけようとしたピアノと、どう関連するのだろう?

1.グランドピアノを失った。
2.母の介護にまつわり、今後ピアノのレッスンに通えなくなった。

そう、このふたつが、私の目の前に突き付けられている。

果たして、この状況が意図するのはなんだろうか?

じつはそれは、こういうことだと思う。

それでも、お前はピアノを弾くかね?

グランドピアノもない。レッスンにも通えない。

それでもなお、お前は、迷わずピアノを弾こうとするかね?

そう「問われている」のだ。

ははあ、なるほどね。




「神サマのテスト」とか言われているヤツっすね!

てか、そうカンタンにコトが運ぶとつまんねーから、わざと山あり谷ありのドラマに仕立ててるっつーか。

はあはあ、なるほど!

で、そう尋ねられるんなら、あたいは即こう答えるさ。

はぁい! もちろんピアノ弾きますよぉ~!

なにがあろうとも、なにがなかろうとも、変わらずピアノ弾きまっせ!

うりゃあ! 手ぬるいっ!

矢でも鉄砲でも持ってきやがれっ!

あたしゃあ、てめえらがどうホザこうが、ジャマだてしようが、ヤるっちゃあヤるんだっ!

というわけで、これからも電子ピアノで地味に練習する所存でごぜえます。

ま、少々紆余曲折があるのも、人生のスパイスみてえなモンさ。

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