母から聞いたのだが、私は、小さいころから「ひとり遊び」が好きだったらしい。
それは、赤ちゃんのころからだという。
ベビーベッドで寝ていて、で、目が覚めたら、赤ん坊というのは、だいたい泣き出すらしい。
ところが、私という赤ん坊は、目が覚めても、なんかひとりで勝手に遊んでいたそうだ。
ほとんど母ちゃんを呼ばないヘンな赤子だった。
母ちゃんは、さいしょの子がそんなだったから、みんな赤ちゃんはそんなモンと思った。
ところが、妹が生まれたら、ぜんぜんそうじゃなかった。
この子は、母ちゃんの姿が見えなくなると、大泣きに泣く子で、母ちゃん、トイレもおちおち入っていられなかったらしい。
たぶん、こっちがふつう。
まあ、私は、61歳のいまにいたるまで、たしかに、基本ひとりでいるのが落ち着く。
てか、ヤりたいことが、ひとりで完結するモンが多いので、ヒトいらんのよ。
ゆいいつ例外は、ピアノかな。
レッスンは行きたいし、機会があれば人前で演奏したい。
だけど、ひとりで練習していても、すんごくおもしろい。
やっぱり「ひとりでモソモソ」が楽しい。
で、ここしばらく、やにわに「読書の楽しみ」が猛烈に湧きあがってきた。
いやね、こういう「本にのめり込む」って、おおむかしに、たしかに経験済み。
それは、小学3~4年生のころ。
通っていた小学校の図書室が充実していて、授業が終わると、図書室にすっ飛んでいって、その日に借りる本を物色し、毎日読んでいた。
あんまりおもしろすぎて、歩きながら読んでいることもあったし、本に夢中でランドセルを学校に忘れて帰ったこともある。
しまいには、担任の先生に、かなりキツく叱られた。
いろいろ読んでいたが、いちばん好きだったのはファーブル昆虫記だった。
なんか、アレだね。
やっぱり「事実はこうですねん」系が、むかしから好きなんだ。
いま、吉村昭にハマッてんのも、ドキュメンタリーっぽいからだね。
文体も簡潔で、数字の記述も多くて、そこも好き。
バッハも「カッチリ系」ですのう。
というわけで、いまごろになって、「自分の好み」というのがギュッと絞り込まれてきた。
かつ、「読書の楽しみ」が急に復活して、いや増しに増して、うれしいかぎり。
こういう変化は、なぜいま、突如としてあらわれたのか?
それは、じつは「母のおかげ」なのだ。
これまでずっと、母と疎遠になっていたが、おたがい、過去のことはすっかり水に流して、いっしょに暮らすことにした。
ふしぎなモンで、そうやって母と和解したことによって、私は「本来の自分」に、よりいっそう近づくことができたのだ。
私はひとりで居ることが好きだ。
でも、母のことも、母といっしょに居ることも、好きは好きなんだなあ。