ここしばらく、ピアノを弾くと、「首」が痛くてね。
弾いたら、首がミシミシ痛くて、あんまり練習できなかった。
まあ、「借金(グランドピアノ)で首が回らない」からだろう、きっと。
首はともかく、オクターブを弾かなくなったら、手はどんどんラクになってきた。
こないだ、ちょっと「手」に訊いてみた。
あのさ、どんな感じ?
オクターブ、弾きたない。
はあ、そう。
わしゃ、これから「ド-ラ」しか、弾かへんで。
はあ。
まあ、「手」本人が、そない言うてるんやから、しゃーない。
ただ、「手」の本音を聞いてみたら、私は意外と納得した。
ああ、こいつ、苦労したないんやな。
文字通り、「手の届く範囲」でしか、やりたないんやな、と腑に落ちた。
レッスン日 | 平均練習時間/日 |
---|---|
2021/10/26(火) | 0時間52分 |
2021/11/02(火) | 0時間59分 |
2021/11/08(月) | 1時間51分 |
2021/11/16(火) | 0時間55分 |
むう、「手のわがまま」に甘い顔してたら、また練習時間が減ったよ。
あのなあ、発表会まで2か月やで。
もうちょい、なんとかせんと、また「地獄の一丁目」やで。
ハノン
ハノン40番│半音階│短3度│1回目のレッスン
前回は、両手とも同じ音。
しかし、今回は「短3度」で。
なに、その「短3度」って?というのは放っといて、1回弾いてみたら、
先生「カサカサしていますね。うすーくジャム塗ってみましょうか?
パンに、うすーくジャムを塗るみたいに」
なるほど、ジャムね。
でも、まだところどころムラがあったので、もう一週間さらうことに。
変ニ長調スケール│1回目のレッスン
スケールもデコボコしていた。
むうう、練習不足だあ。
当然、不合格。
いま使っている楽譜 ハノンピアノ教本 全音ピアノライブラリー
ツェルニー40番の19番│2回目のレッスン
右手、きれいに回転させて弾けない。
先生「ド↓ラ↓ファ↓ド、これはしんどいですか?」
「はい、そうですね。もう少し、幅が狭ければ……と思いますね」
そうだよなあ。
「手」の言い分もそうだったけど、「ド↓ラ↓ファ↓ド」を、レガートで弾くのは、もうしんどいな。
なんだか、今日は「手の勢力」がぐいぐい強い。
先生に対しても、けっこうそのまま「よくないカタチだとわかっているのですが、こう弾くとラクなんです」と言い訳してしまった。
コレって、まさに「手」の言い分だよねえ。
先生は、いまの様子をじっくり観察されたり、それから、過去の状態についてもいろいろ尋ねてくださった。
そして、最終的に「練習曲の目的よりも、手のほうが大切ですからね」とのこと。
ただし、私はとても驚いたのだが、先生からご覧になって、「その弾きかたも音も、手が痛いようには、まったく思えません」ということだった。
へええ。
さすがに先生は、だれの演奏を見ても聴いても、「そういう弾きかただと、手が痛いかどうか、すぐにわかります」
でも、私の弾きかたは、「ちっとも痛そうではない」らしい。
ええと、それはー、むかし、バイオリンの先生にも言われたなあ。
バイオリンはイチから習って、それこそ先生に習ったとおりのフォームで弾いて、でも激痛で、すぐに弾けなくなった。
バイオリンの先生「それの、どこがどんなふうに痛いの?!」と、すごく驚いておられた。
な、なんだろう?
私の手、呪われてるのかっ?!
うん、母ちゃんの呪いらしい。マジで、カウンセリングでそう言われたよ、以前。
んで、とりあえず「自分の理想」は棚上げにしよう。
コレがヤバそうなんだよ。
「こう、弾きたい」ってのが、おまい、どんなレベルやねん?
ピアノの先生も「乗り越えたらいけない範囲の手前で、やめておきましょう」とおっしゃった。
これからしばらく、「手」がどうしたいのか?を最優先にする。
よっしゃ。
いま使っている楽譜 ツェルニー40番練習曲 全音ピアノライブラリー
バッハ:フランス組曲第3番 サラバンド│3回目のレッスン
手が痛かったら、ものすごく困るか?
いや、べつにそんなことはない。
ゆったりした曲で、届かない和音がなかったら、なんにも支障ない。
とくに、バッハは、なにがなんでもレガートじゃなくてもいいし。
そもそも「ピアノが存在しない時代」に作曲されたから、自由度が高いと思っている。
現代ピアノらしくないけど、ちっせえ音でもていねいに弾けば、たぶんバッハならいけるかなあ。
そして、「妄想」を働かせて弾けばいい。
どういうストーリーや背景を考えるか?には、手の都合は関係ないのだ。
まあ、その「心情」を演奏に反映させるテクニックは必要だけど、それを磨くのに、あまり手に負担はかからない。
このサラバンドは、先週、先生から伺った「お話」をふくらませて、こうしようかな、ああしようかなと、とても楽しく練習した。
ぎこちないツェルニーよりは、マシに弾けたかなあ?と、通して弾き終わったら、
先生「はい、ずいぶんよかったですよ。はは」と笑っておられた。
しかし、出だしをもっと、すぅーっとなじませて弾くように。
そうだよね、出だし、この曲に限らず、いつも緊張しまくるよ。
先生「まず、大きく息を吸って……、そして、はぁぁっと、ゆっくりため息をつく、とします。
そのため息が終わる、少し前に、ふっと音をなじませます」
ああ、なるほど! ため息ね、そうそう、ため息がぴったりだよねえ。
そして、「下降する音」は「歌わない」。
先生「下がる音は『知らん顔』しておいてください」
▼17-20小節。
先生のたとえを、ちょっとだけ、書かせてもらう。
先生「右手は、とても『高貴なひとの嘆き』なんですよ。
それに対して、左手はお付きのひと。
影のように寄り添って、ひっそり相槌を打つんです」
う~ん、ということは、18小節の左手と、19小節からの左手は「別人」なんだなあ。
もしかすると、19小節左手は、「鍵」となる人物かもしれない。
うわ、どんな表情なんだろう?
先生「イマジネーション、とても大切ですよ。表現しやすくなります」
ほんとそうだねえ。
人物の表情や視線を思い浮かべると、だんだん「音がことば」のように聴こえてくる。
いま使っている楽譜 春秋社版 バッハ集 3
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番K.282 第1楽章 変ホ長調│6回目のレッスン
またしても「音抜け」が多すぎた。
先生「いかに『思慮深い音』でなかったとしても、鳴らないよりマシです。
『ない』と、物語がとぎれてしまいます」
ええと、もちろん音抜けしないように注意するけど、「思慮深い音」って名言だなあ。
じゃなくて、考え過ぎる前に、まず「音を出す」。
小細工の前に、まず「ふつうに音がぜんぶ鳴る」ようにしないと。
▼いちばん最後の一音。
もうね、成功率1割切ってるかも。
以前のように、「オラ、100回!」みたいな鬼練してないからね。
でも、練習しないと、いつまでたっても弾けないし。
▼ちなみに、ずーっとご指摘を受けていた左手、ずん、たっ、たっ、たっ。9-10小節。
今日もヘタだったけど、とくに注意はされなかった!
それはだね、いちおうココの左手だけは、毎日30回ほど練習していたからだよ。
やっぱりねえ、練習したら、しただけの効果はあるのさ。
ほんま、「練習したけど → ぜんぜん弾けない」って、いまのところまったく経験なし。
練習したら → マシになる
なんだろね?
世の中、「がんばったけど → デキない」ってのは、いくらでもあると思うけど、「ピアノは例外」ですやん?
いま使っている楽譜 モーツァルト: ピアノ・ソナタ集 第1巻/ヘンレ社/原典版
今日のレッスンを振り返って
「うつくしさを学ぶ」って、いいものですねえ。
レッスンはいつも、「うつくしさを、いかに愛でるか」って感じで。
「うつくしさの磨きかた」を教わっているわけで。