いま気がついたけど、そういえばブログを書くのを忘れていた。
もの忘れ、だんだんヒドくなるが、なるほど、とうとうブログも忘れていたよ。
まあ、いつも「前日にどんな記事を書いたのか?」は、さっぱり忘れていて、自分で読み返して、おお、そうだった、とりあえずおんなじこと書かないようにしよう、とかやっているが。
いまはまだ、「ピアノを練習する」ということは覚えている。
「レッスンに通う」ってのも記憶にある。
発表会があることもOK。
でも暗譜は、すごくヤバい。
お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります!
そういえば、高校生のころ、飼っていたセキセイインコが「昨日のつづき」をやっていることに感心したものだ。
そのインコ、なにかひとつのことをやりはじめると、毎日やるんだよね。
たとえば、止まり木を熱心にかじることとか。
止まり木の同じ箇所を毎日かじるのよ。
手乗りインコだったから、外に出ていくらでもほかの遊びがあるのに、「コレ」と決めたら、「必ず毎日やりつづける」という勤勉なインコだった。
それが、ふしぎでね。
ちゃんと「昨日のつづきをやるぜ!」という堅い意志がみなぎっていた。
「昨日やっていたこと」をしっかり覚えているし、ゴールとして「止まり木が折れるまで」ってのも自覚していた。
じっさい、毎日ガリガリゴリゴリひたすらかじって、とうとう止まり木が折れてしまった。
折れたら、もうミッション遂行ということで、見向きもしなくなる。
そして、またべつの課題を探して、そいつに熱中する。
私は、そのインコにもかなわない。
まあ、トシを取るということは、「毎日やっていることでも忘れる」ってことだね。
それは、ごく自然な老化現象だから、ああ、「老人力」が高まってきたなあ、でよろしい。
同じカテゴリーの、つづきはこちら
四十代と五十代│「引きこもり」はこう違う
四十代のころ、がっつり引きこもりだったときがあった。
そのときは、毎日眠くてたまらなくて、昼も夜もほんとよく寝ていた。
寝てはいたけど、当時住んでいた地方には、バス10分で、ちょうど手ごろな山(丘?)があったので、わりとマメに通...
同じカテゴリーの、前回はこちら
昼前に見た夢のなかで女を助けてしまった
ふつうなら「朝、目が覚めて、うんぬん」でよろしい。
私には「朝」がない。
安定して昼夜逆転しているからだ。
「昨夜、寝たのは」とも、書けない。
「寝た」のは、朝5時34分で、「起きた」のは、昼12時02分である。
...