「一生不幸のどん底の母」にとってたったひとつの「気晴らし」とは?

日々のあれこれ

もともと私は「食」に対する興味がうすい。

食べないわけにいかないから、しょうことなしに食べている。

ほんとは、一日錠剤1個とかでエネルギー補給が済んだら、ラクでええなあというタイプ。

あまりにもメンドーなんで、ひとり暮らしのときは、晩メシとかたまに食べ忘れていた。

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いちおうスーパーの総菜は買ってあるんだが、そもそも関心がないから、忘れてそのまま寝てしまう。

ってのが私。

だが、母は正反対。

母にとって、三度の食事はスゴく大切で、1時間以上かけてゆっくり楽しむ。

だもんで、同居してはじめのころは、母のペースに合わせるのに苦労した。




なんつーか、私の価値観ではかると、「メシなんてしょーもないことに、そない時間費やしてどないだ?」となって、どうも母の気もちがわからなかった。

ところが、だ。

ま、食事以外のときも、母の話を長時間聞いていると、いろんなことが判明した。

まず母は、これまで「不幸」すぎた。

とくに、子どものころ、家族からヒドい扱いを受けつづけすぎた。

母が6歳のとき、実母が家出をしてしまったことが、最大の不幸。

そののち継母からもいじめられたり、実父もまったく理解がなかったり、義理兄弟にもヒドいことを言われたり。

会社に就職したらしたで、零細会社で扱いが悪すぎる。

ようやく結婚したものの、これまた夫(私の父ね)が気難しく、疑り深く、やさしさのかけらもなく、非常識で非人間的。

姑、小姑にもいじめられつづける。

隣近所のおばはんにもいじめられる。




パートに出れば、同僚その他にいじめられる。

とにもかくにも、母に接するヒトたちは、寄ってたかって母を粗略に扱い、暴言を吐き、攻撃する。

なので、母に自由に話してもらうようにすると、決まって必ず「あのヒトにこんなことをされた、このヒトにあんなことを言われた」という話で埋め尽くされてしまう。

結局、母の90年間の人生は「ヒトからヒドい目に遭わされつづけて、なにひとついいコトがなかった」と言う。

あと、戦争、地震、貧乏にも苦しめられた。

それに、老いの苦しみは、いまなお年々増す一方。

なるほどねえ、そりゃ、ツラい人生だよねえ。

と、私はうなづく。

しかし、そんな母がゆいいつ「晴れ晴れしているとき」がある。

それは「食事」




ごはんを食べているとき、それも好物を食べているときは、けっこううれしそうなのだ。

いま、食事のメニューは、母が食べたいモノばかりにしている。

それもあって、三度の食事は好きなモノばっかりで、どうもそれがかなりうれしいらしい。

で、私はやっと気づいたのよ。

ずーっとヒトに虐げられて、だれからも大切に扱われなかったけど、そのツラさをほんのちょっぴりやわらげてくれるのが「食事」なんだなって。

だから、母が過去のツラい体験を綿々とうったえて、どんどん落ち込んでいるときは、ウマくタイミングを見て、「食に関すること」に話題を切り替えると、たまに気分が変わると発見。

やっぱり「好きなこと」につながると、抜け出すきっかけになるねえ。

私は、自分が「食」に関心ないもんだから、なかなか「母の楽しみ(=食)」に気づけなかったが、うん、コレだな。

この「食」を深掘りしていったら、母の「気晴らし度」を上げられそうである。

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