「運動不足」が、どうして良くないことなのか?
これ、私はとくだん意識していなかった。
「ふつうに生活」していれば、多少の「運動不足」はどうってことないと、甘く見ていた。
しかしだねえ。
今年4月にパートをやめたもんだから、相当ヒドい「運動不足」におちいっている。
スーパーに買い物行くのも、ついクルマ使っちゃうし。
どうかすると、買い物に行かない日もあるし。
ほんま、歩かんのよ。
1DKの部屋で、ヒッキーやってたら、1日50歩も歩かんのちゃう?
で、そういうのが数ヵ月つづいたら、ついにマンションの階段があかんようになった。
上り、手すりにつかまって、一段ずつ両足そろえてしか上がれなくなった。
部屋は3階なのだが、とちゅうで息切れするし、動悸で胸に圧迫感を覚える。
さすがにこれはヒドい。
こりゃもう、老化じゃなくて、単なる「怠慢」でここまでヒドくなっているのだ。
そもそも「歩く」ということを、ひじょうにナメていた。
▼この本、すごいベストセラーになっている。
私たちは日頃、自分の「部品」の重さを自覚することがほとんどない。これほど重いものを毎日「持ち運んでいる」にもかかわらず、意外にもそのことに気づかないのだ。(中略)
体を毎日「持ち運ぶ」作業を怠れば、見る見るうちに筋肉は弱ってしまう。
程度の差こそあれ、無重力の空間から地球に帰還した宇宙飛行士が、支えなしには歩けなくなっているのと状況は似ている。
出典 すばらしい人体――あなたの体をめぐる知的冒険│山本 健人
これを読んで、はじめてわかったよ。
そっかー、「歩く」って「60kgの物体を持ち運ぶ」という作業なんだな!
そこまでタイヘンな作業ならば、「毎日トレーニング」しておかないと、そりゃデキなくなるよなあ。
たとえば、「老人が寝たきりになると、たちまち歩けなくなる 」らしいということは、知識としては知っていた。
けれども、ぜんぜんなんのことかわからなくて。
実感なし。
しかし、それは「老人が寝たきりになると、60kgのモノを持ち運べなくなる」ってことなら、とても腑に落ちる。
てか、その老人、おまいだろ?
いちおう毎日起きてるけど、「体を運ぶ作業」はまったくやってないんで。
けどさ、「自分で体を運ぶ作業」は、これから少なくとも十数年は、やれるほうがいいよね。
なので、先日ようやくウォーキングを再開した。
今日までに、飛び飛びで5日間ほど歩いたかね。
一日あたりの時間は約30分。
ウチを出てちょっと遠回りして、スーパーに寄って帰るルート。
歩いて15分ほどたつと、胸がキューッと苦しくなる。
なので、歩幅をうんと狭くする。できるだけゆっくり歩く。
スーパーまでたどり着くと、まずイートインスペースで休む。
しんどい。鼻水も垂れてくる。
買い物してウチに帰ると、疲れ果てている。
一時間ほど横になってゴロゴロする。
だのに、はあ、5日やったくらいじゃ、まだなんの変化もあらわれない。
ただ、むかし山登りをやっていたから、「このぐらいおとろえると → 回復までどのぐらいかかるか?」というメドは、なんとなく立つ。
こりゃねえ、ここまで落ちるとだな、「ふつうにスタスタ歩く」まで3ヵ月はかかるかねえ?
しかし、「筋肉は正直」だからね。
できるだけ毎日歩けば、きっとなにかしらの変化はあると思う。
「体を動かすたぐい」って、ウォーキングにせよ、ピアノにせよ、毎日正しくつづければ、まだ変わるだろう。
などと楽観していられるのも、これから10年が関の山。
あ、食生活の改善も並行してやらないと。
「60kgの生物」をちゃんと動く状態で維持しようと思ったら、けっこう手間暇かかるモンだな。