前回レッスンの翌日、どういうわけか、いきなり「夜」に猛烈な眠気に襲われ、なんと午後9時40分に寝てしまった。
それを機会に、昼夜逆転に「強制リセット」がかかったらしく、以降寝る時刻が、0時~午前2時ぐらいに早まった。
以前は「早朝4~5時に寝る」のがふつうだったから、ずいぶん早く寝られるようになったものだ。
しかし、睡眠時間はなかなか伸びなくて、昨日は5時間24分。日中おもくそしんどい。
けれども、今日の睡眠時間は6時間18分達成。
そしたら、めっちゃ元気。
ひさしぶりに晴れ晴れした気分でレッスンに向かう。
レッスン日 | 平均練習時間/日 |
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2021/11/30(火) | 1時間46分 |
2021/12/07(火) | 2時間40分 |
2021/12/15(水) | 2時間52分 |
2021/12/21(火) | 2時間27分 |
練習時間が減ったのは、寝不足と悪夢のせいだ。(言い訳)
てか、「もっと体調管理を良くして → ピアノを弾ける体を作る」ようにしなくちゃ。
なにも、いまから海外登山できるぐらいの体力つけろってわけじゃないし。
いや、ちがうか?
ピアノも、モンブランめざすぐらいの意気込みで体力つけたら、きっと音変わるなっ!
ハノン
ハノン40番│半音階│短3度で始まる両手の反進行、1-5小節│合格
ひじょうにまれなることに、先生がこうおっしゃった。
「先週注意したことが、よくできています」
ああ、いつもそうでないといけないのにねえ。
嬰ヘ短調スケール│合格
スケールは、先週で「2周目」が終わった。
そして、先生から「自分が苦手な調を練習してきてください」と言われていた。
今日演奏する前に、私が「それで、fis mollにしました」と言うと、先生「fis mollは苦手なひとが多いですね」とのこと。
う~ん、私なんか「3つ以上♯、♭が付いている短調」は、ぜーんぶ苦手だよ。
いま使っている楽譜 ハノンピアノ教本 全音ピアノライブラリー
バッハ:フランス組曲第3番 サラバンド│8回目のレッスン
1回目弾いたとき、左手の音抜けがヒドかった。ああ、練習不足。
▲さいしょの出だしは、「『弾きます』ではなく、にじみ出るような感じで」。
▼13-16小節│高音の旋律をもっと出すこと。とくに、はじめの「シ」はある程度鳴らして、そこから徐々に下降。
▼17-18小節│真ん中の旋律を、19-20小節│高音の旋律を出す。
このサラバンドは、3声の部分が多いのだが、せいぜい「1声」しか意識できていない。
じゃなくて、当たり前だけど、もひとつぐらい歌わせないと。
「ある1声を → 主」+「もう1声を → 従」+「もう1声 → ……」
う~ん、みっつめまで手が回らない。
てか、みっつめは思いっきり引っ込めとくのもありかな?
いま使っている楽譜 春秋社版 バッハ集 3
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番K.282 第1楽章 変ホ長調│11回目のレッスン
前回、ペダルがめためたで、猛省して、ペダルの箇所は毎日30~50回練習した。
そしたら、今日はペダルのご指摘はなかったものの、どうも「自然じゃないところ」がいっぱいで。
というのを、しょっちゅう言われつづけているのに、直らない。
先生「気もちは込めるんですけど、『流れ』も大切にしてください。
ごく自然ななかで、ふくらみが出るように」
▼9-11小節│左手、もっとやわらかく小さく。右手のメロディー、下降して収まるところも、ちゃんと聞こえるように。
さらに、「全体的に和音の動きを、もっと感じて、わかるように出してください」とのこと。
う~ん、う~ん、たしかに「木を見て森を見ず」になっているなあ。
一音一音細かい配慮も必要だけど、「全体を俯瞰する」のも同時にできないとね。
▼最後36小節│「pp」とあっても、ただ小さくしないように。
先生「『pp』というのは『最弱』ではありませんよ。『とても静か』とか『とてもおだやか』という意味です」
いま使っている楽譜 モーツァルト: ピアノ・ソナタ集 第1巻/ヘンレ社/原典版
ツェルニー40番の22番│中止
この22番、けっこう手が痛くなるので、もう軽くしか練習しなかった。
左手連打のところ5回/日、両手通して5回/日しかやっていない。
そして、弾きはじめる前に「痛くなるので、ゆっくりでしか弾けませんが」と話したら、先生は「それでは、もうやめましょう」とすぐにおっしゃった。
先生「せっかく手の調子が戻ってきていますから、無理しないでください。
では、23番にしましょう」
先生「23番は、まるで歌の伴奏のようにうつくしく弾いてください」
そして、iPadを譜面台に置いて、▼このYouTubeを聴かせてくださった。
わあ、こういう歌曲がお手本になるんだねえ。
この曲は、ロッシーニの「ヴェネツィアの競艇」。ぜんぜん知らない。
歌っているのは「レナータ・テバルディですよ」と教えていただき、ああ……、大むかし、親がテバルディの話してたなあと思い出した。
こういうオーケストラ伴奏の歌曲を聴くと、ほんと、子どものころずっと聞かされていたなあ、うん、毎日こればっかりだった、これだったなあ。
と、小学生の時分住んでいたボロ家の様子がよみがえってきて、なんとも言えない気分になった。
父がオペラ大好きで、てか、とにかく毎日レコードかけるひとだったんで、こういうソプラノ聴くと、うわあ、そうだった、そうそう、それが毎日だったよねえって。
ほんと「懐メロ」みたいに聞こえて、ほわわ~んってなっちゃった。
いま使っている楽譜 ツェルニー40番練習曲 全音ピアノライブラリー
今日のレッスンを振り返って
最後のテバルディで、「むかし住んでいたボロ家」に引き戻された。
懐かしさというか、ああ、なんかそういうのにどっぷり浸かっていたなあという思い。
ああ、こんな匂いだったなあみたいな感じ。
いつも聞いていた民謡みたいな。
で、むかしもいまも貧乏だよなあ。
で、そのド貧乏をまぎらわせる娯楽が音楽しかなくて。
うん、だからモーツァルトも、そんなに深刻に大仰に弾かなくてもいいわけで。
むかしよく聞いていた音楽なんだから、ほんとごく自然に、なにも知らなかった子どものころのように、ただ弾けばいいよねえ。