60才の手前にて│私をしあわせにしてくれる3つのモノとは?

「トシ取ってやっとわかった、ほんとのしあわせ」という文字と、「老婆」のイラスト 汚部屋脱出作戦「1000個捨てチャレンジ」

捨ててよかったモノはコレ

「1000個捨てチャレンジ」をはじめたのは、2021年10月9日だった。

そうか、いまで1ヵ月ちょっと経ったんだな。

昨日までに 1039個捨てた。

1000個といっても、ユルいルールで、たとえば「宅配ラベル1枚 → 1個」「ビニール袋1枚 → 1個」としている。

まあ、大物をバッサバッサ捨てられると、一挙にスペースが空くし、爽快なんだけど。

捨ててよかったと、つくづく思うのは、「服とバッグ」だね。

どっちも場所を取る。

だけど、妙に「いつか使うかも」と思うし、どういうわけか(自分としては)「高かった」と執着していた。

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買い物の「失敗」を認めよう

しかし、服とバッグを、思い切ってバッサリ捨てたら、予想以上にスッキリしてしまった。

結局、ほんとは「好きじゃなかったモノ」なんだよねえ。

どこか妥協していて、その妥協をいつも強いられるのが、ストレスだったんだ。

ほんとは「ソレ、買ったの、『失敗』」だったが、その「失敗」を認めたくなかった、ってのもある。

「いつかソレを使って、モトを取りたい」って下心があったけど、そんなの、どうでもよくなった。

私は、子どものときから、ずっと汚部屋をこしらえてきた。

まあ、ごく自然にまかせていたら、いつも散らかり放題で、足の踏み場もないのが「私のふつう」だった。

でも、それで心地よかったか?というと、そうではなくて、

いつか、キレいに片付けたいな。
ちゃんと「整った部屋」で、暮らしたいな。

と思ってはいた。

だから、過去に、片付けの本もいくつか読んだことがある。

でも、実行できなかったな。



汚部屋から抜け出せた理由

そうだったのに、今回「1000個捨てチャレンジ」をやるきっかけになったのは、筆子さんのブログ「筆子ジャーナル」だった。

その「筆子ジャーナル」で、筆子さんは以前、「昔はどちらかというと物に対して執着が強く、またいろいろと買い集めるタイプでした。」と書いておられた。

▲この「ミニマリストへの道」というカテゴリーには、なんと125記事もある。

そこには、かつて買い物で迷走していた筆子さんの姿が、ほんとに赤裸々に描かれていた。

その大量の記事をつらつら読んでいたら、なぜか河合隼雄さんのことばを思い出した。

どの本に載っていたか、もう思い出せないが、

人間が「変わる」というのは、だいたい真反対になります。
ちょうど風見鶏のように、180度クルッと変わります。

というような記述があった。

まあ、「その分野」において、悩みが深ければ深いほど、くわしくもなる。スペシャリストになる。

もともと「買い物をしないし、ちゃんと片付けられるヒト」には、汚部屋を作る人間の気もちはわからない。

しかし、「以前は、使いもしないモノを買い込んで、部屋中にあふれかえっていた人」は、私のような汚部屋人間を理解できるし、かつ、ソコから抜け出す方法を教えられる。



最強の基準│迷ったら捨てる

いま現在、筆子さんはミニマリストとして有名である。

筆子さんのブログも本も、私はよく読んでいるが、まあ、あまり記憶に残らない。

老化が進んでいて、なにかを読んでも、覚えていられないのだ。

なんとなく、ぼんやり「よかったなあ」と思うものの、具体的に「コレコレだ」とは、記憶できない。

ただし、ひとつだけ、きちんと覚えていることがある。

それは、「迷ったら捨てる」ということだ。

もし、捨てようか、残そうか迷ったらどうするか?
私は迷ったら、捨てることにしています。
直感的にパッパッパと決められないときは、「迷ったら捨てる」と決めておくのが、いちばんシンプルです。
何かを手にして捨てようかどうしようか迷うのは、すでに捨てたい気持ち、邪魔に思っている気持ちが心のどこかにあるからではないでしょうか。
出典 1週間で8割捨てる技術│筆子





「迷ったら → 保留にする」ってのは、生ぬるい。

筆子さんの「迷ったら捨てる」というのが、とても潔くてカッコいい。

ソレにあこがれて、私も「迷ったら捨てる」を実行したら、かなり大量に捨てられた。

かつ、「1年使わなかった」という基準もすばらしい。

すると、手元に残るのは、

・なんの迷いもなく、ぜったい必要なモノ
1年以内に使うモノ

だけになる。

ソレは、私の場合、すごく少ないねえ。
だいたい、オツムのキャパがちっせえから、「いろんなモノ」を使いこなせないんだよ。

これからトシを取ると、ますます「デキないことが増える」。

となると、「使わないモノ、使えないモノ」も増えるいっぽうだ。

5年後、10年後まで見越したら、もっと捨てられるだろうな。



いつかはピアノも弾けなくなる

順調にトシ取って、足腰が弱り、ボケが進み、ヤレ免許返納じゃー、要支援じゃー、要介護じゃーと言ってるうちに、ピアノも弾けなくなるだろう。

そのときは、グランドピアノと電子ピアノが不要となり、一挙に大物がなくなる。

まあ、ずいぶんスッキリするだろうけど、ありゃ、人間の一生なんて短いもんだねえ。

来年の春には、60才になる。

これから10年ぐらいが関の山だから、せいぜい、いまのうちにピアノを弾いておこう。

それにしても、これまで長年、買い込んできたモノたちは、いったいなんだったんだろう?

たぶん、その合計額はスゴい金額になると思うが、そのわりには、私をしあわせにしてくれなかった。

いま、私をしあわせにしてくれるモノは、ピアノ、パソコン、クルマかねえ。

意外な結末でもある。

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